大人のHIPHOP独り言(子持ちのHIPHOP好きですが?):MUSIC遍歴
2023-08-26T08:45:01+09:00
shinyasta
大阪のオッサン(51歳・既婚・娘2人アリ)が日常に「HIPHOP」と思う事をつらつらと。。。HIPHOPとは?(写真左:マイメンDJ RIGOクン 真ん中:メイス From De La Soul 右:筆者)
Excite Blog
DJ TAKESHI a.k.a Smokyee
http://blacknuts.exblog.jp/33407215/
2023-08-26T08:36:00+09:00
2023-08-26T08:45:01+09:00
2023-08-26T08:36:50+09:00
shinyasta
MUSIC遍歴
未だに、受け入れられていません。
仕事柄、こういうのは慣れているつもりで
いましたが、どうやら、全くそうではないようです。
久しく泣いてなかったけど、
こんなに自然に涙は流れるものなのか、と。
・・・
「シンヤ君、(逢うのは)初めてちゃうねんで」
RIGO君の紹介を受けて、初めてお逢いした時に、
あのくしゃくしゃの満面の笑みを浮かべて、
タケシさんは言いました。
そう、私は、この駄Blogの開設当初から、
貴方のBlog「我が家のレコード棚より」を
拝読し、コメントし、タケシさんも、
いつも、この駄Blogにコメントを頂いていました。
だから。
だから、今の気持ちをお伝えするのは、
このBlogだと思ったのです。
まさか、実際にお逢いして、
そこから、こんなに長いお付き合いになるなんて・・・
まさに、「繋がり」を感じていました。
そこからというもの、この20年近く、
今のように「和モノ」が認知されていない
時代の和モノのParty「カコガ和ナイト」、
スモサのParty、ヴァイナル・ジャンキー、
ここ最近での心斎橋PARCO・・・
ありとあらゆるPartyで、
Deejayをご一緒させて頂きましたね。
「シンヤ君は、好きにやったらエエねん」
私の出番前、出番後もタケシさんは、
いつもいつも私に、そう言ってくれてました。
・・・
私の拙く下手糞な、そしてグジャグジャな選曲を、
タケシさんは、「ブツ切り」することなく、
いつもいつも、丁寧に、そして本当に美しく、
「紡いで」くれました。
そして、タケシさんのDeejayが終わり、
「申し訳なかったです、、、」と、
タケシさんに伝えると、
「何、言うとんな、、、これがオモロいんやがな」
と、笑顔で私の肩に手をかけて、
言っておられましたね。
・・・
タケシさんのDeejayは、「繋ぎ」が美しく、
そして、その人柄が出るように「優しい」。
「包み込むように」という言葉は、
少し陳腐に思えるほど。
そして、その繋ぎと選曲に滲み出る「音楽への愛」。
嗚呼、DeeJayって、その人柄が出るんだ・・・
ってことを、教えて頂きました。
ねぇ、タケシさん。
そんなDeeJayになりたくて、
真似しようとしても、できないっすよ。
・・・
「今さっきのアレ、誰っスか?」
「アレ、あんなRemixあるっスか?」
と、ブース裏でDeejayの間では、
よくある会話にも、その愛のある眼差しで、
レコードジャケットやラベルを眺めながら、
「ああ、これなぁ・・・」
と、微笑んでいるタケシさんの姿が、
今も目に浮かんできます。
ここ数日、タケシさんのMixCD三部作を、
改めて聴き直していると、いかに、
自分がタケシさんのDeeJayに、
現在進行形で憧れているのか、
よくわかります。
・・・
うーん、、、
何やろ、やっぱり、よくわからん、、、
まだ、「シンヤ君、ほんま、”わや”やで」と、
ボクの肩をポンポンと叩きながら言うタケシさんに
逢えるような気がしてならないんです。
この10月には、心斎橋PARCOのParty、
そして群馬へのDeeJay遠征ツアーでも
ご一緒できる予定だったし・・・。
てか、これからも一緒にDeeJayやりましょう、
一緒に遠征行きましょう。
いや、連れていきますよ。
そして、いつもの笑顔で言ってくださいよ、
「シンヤ君、大丈夫やで」
と、、、
タケシさん、
「今までありがとうございました」
なんて、言いませんよ。
ちゃんと逢った時に、お礼言います。
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(続々々)そうそう・・・
http://blacknuts.exblog.jp/298261/
2004-09-19T19:48:44+09:00
2004-10-09T19:47:27+09:00
2004-09-19T19:48:44+09:00
shinyasta
MUSIC遍歴
社会人にならなければいけなくなりました。
「自分の好きなものでメシを食っていきたいものだ・・・。ところで、好きなものって何だろな?」
1.音楽
2.服(ファッション)
3.車
ま、「3.車」に関しては、実は「車のデザイナー」というものにも憧れていた時期が
あったのですが、頭が悪くて、デザイナー職が強いとされていた大学には到底入れそうにもなく挫折をしていました。整備をするにも、専門学校を行かないといけないしなぁ~・・・・。
で、音楽。これで(DJで)、食っていく位のスキルは自分にもないしなぁ、まして、仕事としてやると、音楽を純粋に好きでいれる自信がないなぁ・・・。音楽は一生、趣味で持っていたいし・・・・。
という事で、アパレルに決定。音楽や映画などが反映される業界だし、自分も服が好きだし、一番いいや。。。
で、仕事(婦人服の営業)が終わればクラブでDJをして、週末には色々なPartyに顔を出し、という生活を続けていました。
この頃には、ドラムン・ベース~オールドスクール(シュガーヒル物やENJOY物)などを繋げたりして、少し妙な(?)方向に行きはじめていました。
やがて、仕事も忙しくなってきて、OLキャリアゾーンのブランドを任されるようになって少したった頃、系列会社のSHOPのバイヤーさんと知り合いになるようになりました。後の上司です。このバイヤーさん、いつも昼休みに挨拶をする程度だったんですが、いつもレコード袋を持っていて・・・どうやら、昼休みにレコード屋に通っているな。。。勇気を持って声をかけてみると、話が合うというか、ボクが「ファッション業界ってこんな人が働いているんだな」って思っていたドンズバの人でしてw
少しボクのブランドをそのSHOPに置いてもらっていたのですが、展示会でも音楽の話バッカリww
で、「ウチ来ればぁ?」みたいな感じで、SHOPのバイヤーという事に。
この人からは、今でも「音楽」をはじめ、ライフスタイルまで影響を受けまくっていますね。
初めて家に招待をしてくれた時に、ダニー・ハザウェイの「LIVE!」をかけてくれて・・・ここで、またガツーン!と(影響を受けやすいんです、ハイ)。
別に、クラブじゃなくても、「音楽と人」でこんなに心地良い空間が作れるものか、と。
出来れば、クラブでもコレくらい良い空間を作れれば良いんだけど、無理して夜中にDJしなくても、こんなに楽しいんだなぁ、と気付かされました。
このあたりから、DJをする基準が変わってきて、「自分も心地よく、お客さんも心地よく」という事を心がけ、そうじゃないParty(ガチガチHIPHOPイベント)は遠慮するようになってきたのも、この頃からです。
この人と出会ってから、SOUL , JAZZ などに傾倒していくようになり、特にAORはHIPHOPネタ的にも勉強になり、また以前よりオシャレ層が騒いでいた「フリーソウル」的な(未だにフリーソウルというジャンルの意味がわかりませんがw)部分も気になっていたので、Doobie Brothers,Donald Fagen,CRUSADERS(Street Life!)に始まり、Airplay,Shakatak,Bobby Caldwellなどをエサ箱(レコード屋で、¥300均一や¥500均一されている、レジ前にある箱)で買い漁るようになりました。
今や、その病が進行してしまい、元よりの雑種性を発揮し、'80s POPや昭和歌謡曲のドーナツ盤から、もう黒い円盤なら何でも引き取ります!的な感じで現在に至っております。
(長らくのご静聴、ありがとうございました)
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(続々)そうそう・・・・
http://blacknuts.exblog.jp/278310/
2004-09-17T01:15:10+09:00
2004-10-09T19:47:27+09:00
2004-09-17T01:15:10+09:00
shinyasta
MUSIC遍歴
ボク+ツレ2人の計3人のDJに対して、3人のお客というガチンコ状態w
この頃ぐらいから、イーストコースト(NYC)のアンダーグランドにボチボチ傾倒していきました。特に、メロディアスな哀愁系に惹かれてまして、Lord Finesse, O.C. Organized Konfusion,Mad Skills, MilkboneやChannel Live、オリジナル・ガン・フラッパーetc...比較的解り易いものから、ボビート&ストレッチ・アームストロングのRadio showを持参してはレコード屋の人に聞いてもらって、「コレが欲しいんですっ!」って無名のMCを頼んでみたり・・・・超アナログ手法ww
この頃の自分のお気に入りのスタイルは、イーストコーストのメインストリーム系(ビギーやWU-TANG,Craig MacK etc.) ~ ネイティブ・タン関連 ~ アンダーグランド新曲 ~ ダンサー喜び系(Lords Of Underground,showbiz&AG・・・)という流れが好きでした。あと、プロデューサー繋ぎ(ex. Buck Wild繋がり、Large Professor繋がり、DJ-Premier繋がり・・・)やレーベル繋ぎなんかもやってたなぁ・・・(今もしますが)。
ほんとなら、客はいないわ、アンダーものかけるわ、で「オナニー全開」だったんだけど、
ここのクラブのオーナーさんが、またエエ感じの人で「何とか役に立ちたいなぁ・・・」と思い、客集めなどにも精を出しました。やがて、ダンサーの間でもアンダーが主流となってきて、ボチボチと人が入りはじめ、LIVEなども入れはじめた頃、四条木屋町のクラブよりお声がかかり、そこも週イチのレギュラーとして開始。さすがに、四条に比べると、断然、人が入るようになってきて、週末には100人くらいは動員できる位になっていき、最高では240人(キャパ200人!)は入った事もありました・・・・(つづく)
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(続)そうそう・・・・
http://blacknuts.exblog.jp/263515/
2004-09-15T09:23:39+09:00
2004-10-09T19:47:27+09:00
2004-09-15T09:23:39+09:00
shinyasta
MUSIC遍歴
・・・・・そうしているうちに、予備校生になってしまいました。予備校が「なんば」という立地条件の良さから、タワーレコード及び日本橋のused record shop通いにドップリ、そらぁ~もう、知らないモノ(アーティスト)には毎日毎日一杯出逢えるわ、大変でした。
そんな折、「日本のRapってなんだべ?(SMAP 中居風に)」ってことで、マイクロフォン・ペイジャーとスチャダラパーを聞いて、その予備校生という微妙な立場(子供でもなく大人でもなく)と、そこから来る被害妄想的な反社会的な考え方への傾倒が、スーダラなスタンスで反社会的なライムと感度のよいファッション(赤のギンガムチェックのボタンダウン+少し太めのチノパン+ニューバランス576!!)に、バックトラックの良さ(サンプリングの巧さ)から、「スチャダラパー、ビンゴ!」っていう事で、日本人はスチャ+LB NATIONに一辺倒。じゃあ
、スチャ3人組が影響を受けた人達は??という事から、海外ではトライブ、ジャングル&DE LA SOULのネイティブ・タンへ。。。
ここに、今の「HIPHOP」への基礎が出来あがったような気がします。
本当に、彼らの音を聞いて、「嗚呼、HIPHOPって、色々な音楽・考え方・スタイルのMIXされたものなんだな」「なんか、ジャンルとかこだわっているの、バカみたい、全体的に」って考えるようになりました。
そして、なんだかんだで京都の某大学に入学。
とにかく、バイトという事で、レンタルCD&VIDEO屋にバイトにいきました。また、ここでも、CDはもとより、映画・AVに関しての知識を隈なく吸収して、最後には仕入れまで任せていただけるようになりました---- 特に、AVに関しては、丁度、成長期で「小林ひとみ」「村上麗奈」から「桜樹ルイ」「飯島愛」「美穂由紀(金閣寺・名作!)」「葉山レイコ(処女宮)」「朝倉舞」などへの移行期で、売上が伸び伸びで、この辺とVシネ(「ミナミの帝王」)を仕入れていれば安定した数字が叩けたのです・・・・そんな中では、「前原祐子」(少し古いでしょ?ファイブスター時代が特に、ですわw)好きですが・・・・おっと。
脱線。閉話休題。
そのバイトで稼いだお金で、念願のターンテーボー(テクニクスSL-1200MK-Ⅲ×2台)とメローのDMC仕様のミキサーを購入。LOUDレーベルの勢いをつけることになったWU-TANGやGANGSTARR(Yes!DJ-Premier)、pete Rock&C.L smooth,Main Sourceなどを2枚づつ買いこんで、せっせとオタクDJで練習をしていました。
そんな折に、初対面の時にボクのカッコを見て「自分、ボッサノヴァとか聞いてそうやなぁ(いや、聞いてますが、何か?)」と言い放ったB-BOY(今では、すっかり有名?になられた某レコード屋の店長)に、「今度、知り合いがクラブをオープンするから回してみるぅ?」って事で、京都・出町柳にてDJデビューと相成ったのです・・・(つづく)。 ]]>
そうそう・・・
http://blacknuts.exblog.jp/230931/
2004-09-11T00:18:48+09:00
2004-10-09T19:47:27+09:00
2004-09-11T00:18:48+09:00
shinyasta
MUSIC遍歴
少しだけ、音楽遍歴でも聞いてください。
よく「お父さんがJAZZを聞いてて幼い頃は嫌いだったけど、結局、今ではJAZZを聞いてまして・・・」みたいな羨ましい育ち方をされている方がいらっしゃいますが、私は全くありませんっ!
どちらかというと、ウチの家族は「酒のみ」いや、もとい、お酒が好きな家族でして、スナックでのハチトラ・カラオケ(懐かしい!)などの歌謡曲やビアホールでかかっているヘンなエレベーター・ミュージック(アメリカでは、モールや百貨店のエレベーターの中でかかっている音楽みたいだ、つまり退屈だ、という事から呼ばれているそうな)が発祥?となるんでしょうか・・・。
ま、姉がボクの物心ついたころにはは、「ABBA」や「ボニーM」や「ビージーズ」などの洋楽を聞いていてので、洋楽に憧れはあったんですが、云わずと知れた小学校での歌謡曲ブーム(昨日、「ザ・ベストテン」観た?系)に巻き込まれ、荻野目洋子や小泉今日子や風見シンゴ(HIPHOPですw)などを聞いていました。やがて、2つ上の兄貴がいるようなヤツが、「オレ、洋楽聞いてんだよねー」とか言いだして、「どんな?」っていうので小5の時にマドンナの「ライク・ア・バージン」でガツーンときて、そこから「ベストヒットUSA(小林克也)」「MTV」をチェックし出しました。と言っても、渡辺美里とプリンセス・プリンセスは聞いていましたが(ナゼ?ww)。
ワム・ペットショップボーイズ・ヒューイルイス&ザ・ニュース、ボン・ジョビ、デフ・レパード(うわぁ、なつかしー)、シンディ・ローパー、デビ・ギブソン、アリッサ・ミラノ(笑)、エイス・ワンダー(今でも好きっス)etc...という雑食ぶりを発揮している最中に、小林克也のインタビューにまともに答えない全身アディラスの3人組を観て、「なんじゃこらぁ?」。
MTVでやんちゃそうな3人組がギターを持ってホームパーティ中に暴ればがらRapする映像を見て、そのファッション(ノーネクタイのグレーのスーツに白いナイキのバスケットシューズを合わせる)と音にガツーンきました。
「RUN DMC」と「ビースティ・ボーイズ」
よくよくレコードをみると同じマークがついてるじゃん、じゃあ、片っ端から聞いたれ!ってな具合にDef Jamをレンタルしまくりました。そこで、LL COOL J、PEなどに出会ってからRAPに傾倒していきました・・・(つづく)
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